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『トロの白焼き』メバチ篇

 魚よろず屋「銀次」の閉店時間。いつものように暖簾を下ろし、表看板の灯を消した。せわしなく駆け回るモモの下駄の音がカタカタと鳴り響く。銀次は毅然として調理台の前に立った。

 モモが駆け足で板場に入ってきた。
「おっし、今日はメバチをいくつか調理してみるぞ」
「アイ!」
 いつになくモモの目は好奇心とやる気に満ち、輝いて見える。

 少々不安を感じながらも、銀次は気を引き締めて作業にとりかかる。
「メバチは延縄で獲る40〜70キロもある大バチと、一本釣りや巻き網で獲る小・中型のダルマのふたつがあるが知ってるか?」
「アイ!どっちも親父さんに何度も食べさせてもらってます。モモの大好物でっせ」
「むむ。大バチの脂の乗ったところは他のマグロのトロよりサッパリして色も良く、日本人の舌に最も合うが、これがなかなか手に入いらん。ダルマは大抵は脂が乗っていないが、トロなんかとは違う別の味わいの良さを持ってる」
「どのマグロでも大抵は頭、尻尾、背、腹のブロックに切り分ける。その部分によって脂の乗りも肉の色や硬さもまちまちだ。だが、マグロは1ブロックもあれ ば体のどの部分であろうがいろんな料理が楽しめる。脂の乗ったところはちょこっと刺身に切って、あとは工夫次第だ。脂の乗っていない尻尾のはしっこなんか は意外や意外、さまざまな料理に華麗に大変身!だ。味わい深い面白い魚だよ、マグロってやつは」

 銀次は調理台のまな板の上に置かれたブロックに丁寧にくるんでおいた布巾をはがした。これは昨日、モモに実践で教えた温塩水解凍(前ペイジ参照)の後、冷蔵庫に寝かせておいたメバチだ。
「さて、これを脂の乗っているところと乗っていないところにこうやって大きく切り分ける。んで、スーパーなんかによくあるように2〜3センチほどのサク状 に切る。脂の乗っているトロ、中トロ部分。これは刺身だな。まあ、ワサビ醤油で3切れも食えば十分だろう。残りはこうして厚めに切り、軽く振り塩をする。これを強火でさっとレアにあぶるんだ」

 モモの好奇心に満ちた目は丸みを増してこぼれ落ちそうだ。かがみ込んでジッと銀次の手さばきを見つめているが、目の前にある切り分けられたメバチの切り身に今にも喰らいつきそうな形相だ。銀次はモモの顔を片手で押さえた。
「邪魔だ!ちょいと顔を引っ込めて見てろ!後で食わせてやるから」
「アイ・・・」

 銀次は網を置き、バーナーに火をつけた。まず強火でひと切れを表、裏と、さっとあぶって見せた。
「これを熱いうちにワサビだけで食う。醤油をつけちゃダメだぞ。これが『トロの白焼き』だ。これには辛口の冷酒が一番合うんだな。目からウロコの一品だぞ、ほれ」
 と、言いながら、そのひと切れをワサビにつけあっという間に口の中にほうり込み、冷酒をグラスに注いで一気に飲み干した。冷酒はちゃんと用意してあった。銀次は料理に合う酒は当然の如く、用意が良いのだ。
「銀兄、そんな殺生な・・・」
「わかったよ。今、作ってやるから。そんな情けない顔するな」

 モモは今にも泣き出しそうな顔をしている。銀次はトロの数切れをあぶって皿にのせた。目で合図するとそのひと切れをワサビにつけて、モモは嬉しそうに口にほうり込んだ。

「白焼きはウナギやアナゴだけの専売特許じゃないんだぞ。脂の乗った他の魚にも応用できるんだ。コツは簡単だ。厚めに切って、振り塩、レア、だ。火を通し 過ぎたらダメだぞ。バサバサになっちまうからな。ついでに言うと、アジやホッケなんかの脂の乗った白身系の干物を香ばしく焼いたアツアツをワサビで食って てみろ。魚本来の旨さがあらためてわかるぞ。おっと、イワシやサバなんかの青魚はこの方法はちょいとむかないな」
「ここでもうひとつ。『白焼き』はウナギ同様、酢の物にも向いてる。ウナギ白焼きの酢の物は『うざく』と言うから、トロは『トロざく』か。例えばだな、見 てるんだぞ。こうして薄くスライスしたキュウリを濃い塩水に浸す。しんなりしたらギュッと絞る。ボウルに酢、醤油少々、塩、砂糖少々を加えて和え酢を作っ ておく。指先でこうしてほぐしたトロの白焼きと絞ったキュウリを入れて和えて出来上がりだ。これもほら、食ってみろ。どうだ、旨いだろ?」

 旨い話はまだまだ続きますぞ。

◆塩の使い方
「トロの白焼き」実践篇のペイジへ「モモちゃん修業に出る」に登場する秘伝の魚料理法をここで実践します。
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